サンダンス映画祭で高く評価された映画監督アキノラ・デイヴィス・ジュニアは、映画における音楽を「結晶化した感情」と表しています。彼は、流れるような叙情的できわめて個人的な映画を制作しており、独自のビジュアルスタイルと複数の大陸における生活体験を、痛烈なドキュメンタリーからグッチのファッション広告に至るまでの映像プロジェクトに持ち込みました。Marantz Amplified Playlistでアキノラは、自分の映画、なかでも最新のマジカルリアリスティックな短編映画「Lizard」にインスピレーションを与え、サウンドトラックにも使った非常に個人的なトラックセットを紹介しています。
アキノラ・デイヴィス・ジュニアに関しては、博識という言葉が頭に浮かびます。彼はなによりも映画制作者であり、ナラティブ映画、ドキュメンタリー、実験映画、ファッションビデオ、ミュージックビデオなどを手がけてきました。2021年には、短編映画“Lizard”で、サンダンス映画祭審査員大賞を受賞し、BAFTAにノミネートされました。また、グッチやルイ・ヴィトンなどの高級ブランドの仕事にも応じています。また、DJ、ラジオのホスト、講演者、有名なクラブナイトの創設者でもあります。これらの多種多様な職業のすべてが同じリズムで踊っているわけではありませんが、それらすべてに通じるチューンがあります。また、映像と音声の両方におけるストーリーテラーです。
ロンドン中心部のポストプロダクションスタジオでハーブティーをすすりながら、自分の生い立ちは「かなり起伏のあるものだった」と彼は言いました。アキノラはロンドンで生まれ、ナイジェリアで育ち、クリスマスと夏休みはそのどちらかで過ごしたほか、兄と姉が住んでいたニューヨークでも過ごしました。「両親は本当に音楽に夢中でした」と、両親が、アフロビートのパイオニアであり政治活動家でもあったフェラ・クティのラゴス・シュラインを頻繁に訪れていたことを話してくれました。フェラ・クティは、後にアキノラがパワフルなドキュメンタリー“One Day Go Be One Day”で取り上げた人物です。彼の両親はレコードレーベルも経営しており、アメリカのアーティストがナイジェリアに音楽を持ち込む際のパイプ役をつとめていました。「(アメリカのレーベルは)ナイジェリアが音楽に非常に敏感な場所であることを知っていました」とアキノラは述べています。「たまに、そのアーティストはナイジェリアにやってきました。母と父は、スティービー・ワンダーを迎え入れ、もてなしました。家には、たくさんの人に囲まれた彼の写真があります」。スーパースターが訪ねてくるだけでなく、アキノラの家は刺激的なサウンドに溢れていました。「そうした形成期には、それはさまざまな種類の音楽の襲撃にすぎませんでした」と、母親が聞いていたメソジスト派やペンテコステ派のゴスペル、どこでも流れていたマイケル・ジャクソン、ナイジェリアのテレビで使われていたジングル、90年代のR&Bやラップなどを思い出しながら、アキノラはそう言いました。 彼の音楽への傾倒は、家の外にまで及びました。アキノラは次のように説明してくれました。「ナイジェリアの文化では、音楽は主に共同体に根ざしていて、パーティーがベースになっています。結婚式や誕生日、葬式はそうした司会が仕切ります。パーティーに出入りする人がいれば、司会はある種の祝杯のように、彼らに歌いかけます」。さらに続けて、「そうした曲の多くは、ストーリーテリングに基づいたものです。その場で作られる曲もありますが、ミュージシャンがパーティーの参加者について得られる情報は限られているので、事前に準備しておかなければなりません。英国に完全に移住するまで、その文化的基盤がどれほど特別でユニークであるかがまったく分かっていませんでした」。しかし、ストーリーテリングに関するアキノラの音楽の力を実際に証明したのはヒップホップであり、特にあるトラックでした。それは、2Pacによる1996年のディストラック“Hit 'Em Up”でした。アキノラは「情熱と辛辣さと怒り」を感じたのを覚えており、「そんなものは聞いたことがなく」、「これが何であれ、これを追求し、その一部になりたい」と決心したのです。アキノラが寄宿学校に入るために出発する際、母親は、アリーヤやモニカ、ステレオフォニックス、グリーン・デイ、バズ・ラーマンなどのアーティストたちの曲を楽しめるよう、「小さなステレオ」をプレゼントしてくれました。やがて、彼が「音楽デバイスに関連して持つことができるほぼすべてのもの」を一巡りして、さまざまな要素を含んだサウンドトラックが作られました。ミニディスクがiPodになり、ヘッドフォンがワイヤレスになると、ハッピーハードコア、ドラムアンドベース、ヒップホップがそのミックスに組み込まれました。映画制作に心を奪われるようになると、アキノラはマランツのフィールドレコーダーを手に入れ、音の実験を始めました。そのレコーダーで仕事をすればするほど、自分の要求がどんどん厳しくなっていくことに気づきました。「ポップソングでもフラットなサウンドは苦手です」。自分のリスニング手法を言語化したうえで、彼はこう言っています。「それは意図された音ではありません」。
きらびやかなPDAクラブナイトを共催することで、アキノラはサウンドとの一段と深いつながりを築きました。ナイトクラブ環境で、彼は強い自由の感覚を覚えます。「その瞬間、音はまさに宇宙のように広がります。それはあなたにタイムトラベルをさせてくれます… それは身体的であり、スピーカーのすぐそばに立って、さまざまなDJにプレイをさせ、さまざまなジャンルをミックスさせます」。さらに進むと、彼の説明はほとんど精神的なものになります。「その中のすべてのエネルギーが同じ方向に向いている空間にいることは非常にまれなことです。ある意味で、それはほとんど神聖であります。それが、私がパーティーに感じたことです。それは、純粋な現実逃避のほとんど神聖で快楽主義的な空間になったのです」。アキノラの映画にも同じ特性が見られ、彼はスピリチュアルでトランスポーティブな特性によって、映画のための音楽を選んでいます。「それが本当の音だと思います」と彼は言っています。「それは映像の感情です。映像はストーリーです・・・しかし、音はある意味、感情を結晶化します。それは人々を、彼らが望む場所へ導き、また望む感情を感じさせることになります」。音楽が加わるまで、彼はまれにしか映画に確信を持てませんでした。「スコアができるまでは、編集にあまり熱中できません」と彼は言っています。ニューヨークの実験的エレクトロニックバンド、ギャング・ギャング・ダンスの元メンバー、ティム・デウィットが音楽を担当し、賞を受賞した映画“ Lizard”はその典型的な例です。“Lizard”はごく普通のドラマですが、マジカルリアリズムの要素が多少含まれています。SFやスリラーを強く感じさせるサウンドを設定すれば、誰でも夢中にさせることができます」。
ナイジェリアを拠点とするヒプノティックな短編ドキュメンタリー“Zazzau”の空気のようなアンビエントエレクトロニックミュージックから、BBC制作の“Black to Life”のシンフォニックなブロークンビートのリズムまで、また、Facebookの“Dance Accepts Everyone”でのサンパ・ザ・グレートの活気に満ちた高揚感溢れるサウンドから、レッド・ウィング・シューズのスタイリッシュな“Out of Fashion”でのスローグルービングファンクまで、彼の他の作品でも同じ効果を体験できます。 彼は、「これは、自由に使える最も重要なツールの1つです。サウンドデザインやライセンス音源、またはオリジナル作品のいずれであっても、サウンドは、お金を払って映画を見に来る観客に対し大きな影響を与えます」と言います。「人は、自分がやっていることに没入したり、集中したりしなければなりません」。ですから、アキノラの創作プロセスの早い段階で音楽が関わってくることが多いのは当然のことであり、彼はプレイリストを作って、協力者のためにトーンを設定します。サウンドはトーンを設定すると同時に、ケーキの上のアイス、つまり最終製品ですべてをまとめる接着剤でもあります。 制作全体を通して、サウンドは最も重要であると彼は言います。なぜなら、「人は悪い映像は許してくれますが、悪い音は許しません」。ナラティブとドキュメンタリー両方の要素が完成しかかっているとき、アキノラは「ストーリーを正しくする」ことに必死に取り組むそうです。そして、彼がまだ、そうした新しいストーリーについて固く口を閉ざしている間、1つ確かなことがあります。彼の過去の作品の多くがすでに強調しているように、「間違いなく音楽が重要な役割を果たす」ということです。「サウンドデザインは、おそらく料理における玉ねぎやニンニクのようなものだと思います」と彼は言い、雰囲気のある、ムードを重視したプレイリストについて熟慮を重ねます。「ちょうどテクスチャーとフレーバーを引き出すように、また、すべてを強化したり、一定の方向に導いたりします」。彼が選んだ音楽は、“Lizard”の変化する雰囲気とテーマを反映しています。「私のプレイリストはちょっと特殊です。すべての曲を選ばなければならず、一定のムードが必要で、長さは45分、最大で1時間必要です」。 非常に没入感のあるトラックを、慎重に考えた順で並べたセットのおかげで、アキノラのAmplified Playlistは、それ自体がまるで込み入った内容の映画のように感じられます。
Akinola’s Amplified Selections
PDAでのパフォーマンスを見て、こう感じました。「うわー、この人、マジにワイルドですげえや。この曲は反道徳的でエモい」。ストリングスは普通、多くのフィーリングを暗示するもので、この作品では極端さを感じさせますが、実際にはデリケートであり、やっていることの内側で物語を語っています。そして、曲名と楽器編成とが一致しています。文字通り、家族のあらゆる信条、つまり愛、思いやりが互いに正面衝突しているように感じられます。
今まで聞いた中で最も美しい曲の1つです。愛する人を守るために地球の果てまで行く人のようで、とても守られている感じがあります。そして、構成は素晴らしいダンスのようで、まるでオペラやバレエに行くときのような高揚感を覚えます。と言うのも、 低域と、高域と、サブがあって・・・、そこにあるものすべてが完璧に構成されているようです。そして、彼女の声の使い方はとても優しいです。とても元気付けられ、また心が安らぎます。
私の友人であるカール(ミカ・レヴィ、コビー・セイ、ブラザー・メイ)は、シルバータウンで坂本龍一とショーを行ったことがあり―彼ら全員が彼についは敬意をもって話しました。ショーの中には、行ったことでパフォーマンスや音楽が何であるかについての全体的な認識が変わるものがあります。アーティストを含めて誰も何が得られるかが分からない即興パフォーマンスには何か特別なものがあり、人はただ、自由に流れる創造性を見ているにすぎません。それは、加工されていない生なものと、真に優しく、しかし複雑に織り込まれた曲を作る経験豊富な作曲家との結合から生まれるものです。
私の好きなの映画の1つが、セオドロス・バファルコスの“Rockers”という作品で、これはその映画で使われたバーニング・スピアのライブパフォーマンスです。その頃はバーニング・スピアが誰だか知らなかったのですが、そのシーンを見た瞬間、はまってしまいました。そのシンプルさには何かがあります・・・ある種の脆弱さと誠実さ。音楽はなく、コオロギと、夜や川の音だけが聞こえます。とてもくつろげます。そして、意表を突かれるでしょう。単に楽器としての声であり、多くの感情や痛み、オプティミズムがあり、内側にはストーリーも含まれています。驚くべき作品です。
// 人は、自分がやっていることに、没入しなければなりません。サウンドは、お金を払って映画を見に来る観客に対し大きな影響を与えます。 //
-アキノラ・デイヴィス・ジュニア
Akinola Davies Jr’s Startling Cinema
マジカルリアリストの映画監督による壮大な映画サウンドトラックに浸ってください。
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PHOTO CREDITS:
ZAINEB ALBEQUE
All images are by Zaineb Albeque